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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)12060号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一原告が、昭和五〇年一月二〇日恐喝未遂の容疑で警視庁池袋警察署員に逮捕され、同月二二日から恐喝未遂の罪名で勾留された後、同年二月七日略式手続によることに同意し、同月八日大泉検察官から、原告主張の公訴事実により、身柄拘束のまま、東京簡易裁判所に対し、公訴を提起(略式命令請求)されたこと、同裁判所が同月八日原告に対し罰金三万円の略式命令を発し、原告が同日釈放されたこと、その後、原告において、同月一四日右命令を不服として、同裁判所に対し正式裁判の申立てをし、同裁判所が、同五一年六月二日、原告に対し、無罪判決を言い渡したこと、同判決が検察官から控訴されることなく、同月一七日に確定したことは、いずれも当事者間に争いがない。そして<証拠>(判決書の写し)によれば、右無罪判決における無罪の理由は、要するに、李、栄子、春花の同裁判所公判廷における各証言は、事実認定の証拠となしえないものであり、原告の検察官に対する供述中には、脅迫行為を自供する旨の供述をした部分が窺われるが、原告の検察官に対する昭和五〇年一月二一日付け、同月二九日付け、同年二月五日付け、同月七日付け各供述調書及び原告の右公判廷における供述を仔細に検討すれば、原告は、栄子が原告を指しにらみつけながら「お前たち殺してしまう」と申し向けたため、原告も立腹興奮の余り、同女の挑発に反撥し、「何、殺せるものなら殺してみろ」と応酬し、立ち上りながら卓上のビール瓶をとりあげこれで卓を叩く感情的に激越な言動に出て、結果的には栄子を威圧するに至つたであろうことが窺えるが、原告が栄子の生命等に危害を加えかねない威勢を示したとして刑事罰を科するべき言動があつたとは認め難いというものであることが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

ところで、検察官の公訴提起行為は、その公訴追行とあいまつて、裁判所に対し、証拠に基づき、一定の事実について刑罰権の存否の審判を求めるにほかならないが、公判廷にあらわれた証拠の信用性の判断及び証拠の取捨・選択・採否に関する判断には複雑で困難、かつ微妙な点を伴うことが少なくないのであつて、このことは、当裁判所に顕著である。したがつて、公訴提起時あるいは公訴追行中における検察官の心証と、判決時の裁判所又は裁判官の心証とが異なるものであることも、事柄の性質上十分あり得るのである。それゆえ、無罪判決が言い渡され、それが確定したことをもつて、直ちに右の公訴提起及び公訴追行が違法とされるわけはなく、また、右認定のような裁判所の無罪理由が示されたとしても、その故に、公訴を提起した検察官及び公訴の追行に当たつた検察官に、原告主張のような違法・不当な点があつたと推認すべきものでないことは、いうまでもないところであるから、以下原告の主張について順次判断する。

二1 まず、原告は、原告が韓正三とともに、昭和五〇年一月ころ、李から警視庁池袋警察署に恐喝及び同未遂の罪名で告訴された旨主張するが、原告の全立証その他本件全証拠によるも、右原告主張の事実を肯認するに足りない。

2 各担当検察官の職務行為に違法、不当の点があつたかどうかの点につき判断する。

(一) 公訴提起について

検察官の公訴提起行為が違法であるのは、公訴提起時における証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑がないにもかかわらず、公訴を提起した如き場合であると解するのが相当である。

(二) そこで、右の見地に立つて、原告主張の各点に対する判断を示すとともに、本件における担当検察官の公訴提起当時の証拠資料から、本件の公訴提起時における有罪の嫌疑の有無を検討する。

ア <証拠>によれば、本件公訴提起当時の検察官の手持証拠中主要なものは、次のとおりであり、栄子の検面調書は公訴提起後の昭和五〇年二月二〇日に、春花の検面調書は、同じく同月二二日にそれぞれ作成されているが、右両検面調書には、本件公訴事実と同旨の供述が含まれていることが認められる。右認定を左右すべき証拠はない。

① 栄子の警面調書謄本(乙第一号証)

② 李の二月一日付け検面調書謄本及びその同月五日付け検面調書謄本(乙第五、第六号証)

③ 春花の警面調書(乙第三号証)

④ 原告の一月二六日付け警面調書(甲第七号証)、その同月二一日付け検面調書(同第八号証)、その同月二九日付け検面調書(同第九号証)、その二月五日付け検面調書(同第一〇号証)、その同月七日付け検面調書(同第一一号証)

⑤ 韓正三の二月六日付け検面調書謄本(同第一三号証)

⑥ 原告の外国人登録証明書の写し及び犯歴に関する電話聴取書(同第五号証参照)

(なお、右の甲号及び乙号各証のほか、前掲甲第二号証その他本件の甲号及び乙号各証は、すべて原本の存在及び成立につき争いがない。)

イ そして、右アに掲げた甲号及び乙号各証と弁論の全趣旨によれば、右の証拠資料のうち本件被疑(公訴)事実を直接立証すべきものと考えられるのは、目撃者である李の二月五日付け検面調書謄本及び春花の警面調書、被害者であるとされる栄子の警面調書謄本並びにいずれも原告の一月二一日付け検面調書、同月二六日付け警面調書、同月二九日付け検面調書、二月七日付け検面調書であると認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

ウ 原告の本件行為に至る経過について

前掲アの甲号及び乙号各証によれば、次の事実が認められる。

東京樹脂株式会社の代表取締役である李は、昭和四三年七月ころから同四五年一月ころまで、賄婦として同社に雇い入れていた韓正三の妻玉子と肉体関係を結んでいたことが、同女の懇請により同社に入社させた右正三に察知されたため、同四九年五月ころから、李は、右正三の暴行、脅迫を受け、金員の交付を要求された。同四九年一二月上旬になつて、李は韓正三に対し現金一〇〇万円を交付した。しかし、その後も韓正三は、李が誠意を示さないなどと李を攻撃するため、李は、同月二三日料亭「東忠」において、韓在順、韓明燮とともに、韓正三や同人側の仲介人として加わつた原告と話合いを行つた。その席上においても、韓正三は李に対し「俺はお前をいじめるんだ。今日はたくさん飲みなはれ。明日は命がないんやから。」などと脅したが、原告はその場にいたにもかかわらず、韓正三の右言動を何ら制止することがなかつた。そして数日後には、李の妻栄子のところへ、暗に金員を韓正三に交付することを要求する電話がなされたので、このことを聞いた李は、韓正三によつて殺されると強く思い込み、同月二九日まで所在をかくすことになつた。しかし、韓国済州道朝天面咸徳里出身者の会の役員をしていた李は、昭和五〇年一月一二日、一竜会館で開催された同会の新年会に参加しなければならず、妻栄子と共にこれに出席したところ、同会に出席していた韓正三から再び、その会場で、ビール瓶を手に持つたうえ「この野郎、皆の前でぶつ殺してやる。」などと脅された。韓正三は、直ちにそばにいた数人によつてとり押えられ、同会場から連れ出された。その直後に同会場において、本件の紛争が発生した。

右のとおり認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

(三) 証拠収集方法の誤りを非難する原告の主張について

ア 原告は、原告の二月七日付け検面調書を除き、原告において一貫して脅迫行為を否認していたのであるから、大泉検察官としては、起訴時までに栄子及び春花の両名から直接事情を聴くべきであつたのに、同検察官は、これを怠り、右の者らの警面調書のみで公訴の提起に及んだと非難する。

そこで、目撃者らの供述について検討する。

<証拠>によれば、原告が栄子に対し、「殺してやる。」と怒号した点及び原告がビール瓶をテーブルに叩きつけ、持つて立ち上り、これをかまえた点において李、栄子、春花の各供述がほぼ一致すること及びその供述内容は具体的であること並びに右の各点については、原告の二月七日付け検面調書における供述とも一致していることが、それぞれ認められ、右認定を左右すべき証拠はなく、また、右の李、栄子、春花の各供述が信用できないものとするに足りる証拠もないから、大泉検察官において、起訴時までに栄子及び春花の両名から直接事情を聴かなかつたとしても、これをもつて非難に価するものということはできない。

イ 次に、原告は、本件の担当検察官において、韓在龍から告訴事実と異なる内容の供述をききながら、これを無視し、あるいは本件の場所が新年会の席であり、他にも目撃者が多数いたと予想されるのに、これらの目撃者から直接事情を聞くことを怠つていた旨非難している。

しかし、前記のとおり、目撃者二名と被害者なる者の供述が主要部分で一致している本件においては、事案の性質上、右の程度の取調べをもつて必ずしも不十分とはいいえない。そればかりでなく、<証拠>によれば、韓在龍は、本件における原告の行為を直接目撃していなかつたことが認められ、右認定を左右すべき証拠はないから、韓在龍の前記供述を検察官が取り上げなかつたとしても、必ずしも不当とはいえず、一般的に多数人がいる場所での出来事であるからといつて、目撃者が多数いたとも限らないのであるから、原告の右の非難は、いずれも当たらない。

(四) 公訴提起時の証拠評価の誤りを非難する原告の主張について

原告は、本件の公訴提起当時において、李、栄子、春花の各供述調書における供述は、一切信用すべきものでなかつたと主張する。

しかし、本件の公訴提起当時において、右の李、栄子、春花の供述が信用できないものとするに足りる証拠はない(この点に関して原告の主張する諸点は、必ずしも、その故に各供述者の供述を信用できないものとするに足りるものではないばかりか、李の供述については、原告主張に係る李の原告と韓正三とに対する誣告動機があつたことを認めるに足りる証拠もない。)。

したがつて、右の点についての原告の非難も当たらない。

(五) 犯罪事実の確定の不十分を非難する原告の主張について

原告は、本件の起訴時において、検察官は、具体的な事実の確定を怠つたと主張する。しかし、原告の右主張を肯認するに足りる事実関係を認めるべき証拠はない。

(六) 利益誘導による自白強要であると非難する原告の主張について

原告は、大泉検察官の原告に対する昭和五〇年二月七日付け検面調書の作成された同年二月七日の取調べは、利益誘導による自白の強要であつて、違法であると主張する。

<証拠>によれば、原告は、当初脅迫文言を否定していたが、やがてビール瓶をテーブルに叩きつけたこと、脅迫文言を吐いたこと、栄子が原告に対し「お前たち殺してしまう。」旨申し向けたのに対し、原告において、ビール瓶を右手に持つて振り上げ栄子に対し「殺してやる。」等と怒鳴つたことを述べるとともに、栄子が原告のビール瓶を振り上げるなどして脅かした右言動に畏怖の念を抱いたものと思う旨を供述するに至つており、特に前掲甲第一一号証の供述内容は具体的、かつ、詳細であつて、右の状況が明らかになつていることが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

そして、<証拠>並びに前段認定の各事実によれば、原告の右二月七日の取調べを受けた結果作成された同日付け検面調書について原告は、検察官からいわゆる読み聞けを受けて内容に間違いないものとしてその末尾に自ら署名、指印したうえ略式手続について同意したこと、同調書における原告の供述内容が、それ自体不自然な点を含むことなく、かつ、具体的・詳細であり、前段に認定をした如き李、栄子、春花の各供述及び原告の一月二六日付け警面調書における供述と概ね一致するほか、その一月二一日付け検面調書、その同月二九日付け検面調書における原告の供述同様、原告は、その行為が、栄子の言動に誘発されてなされたものであるという一連の供述にも沿うものであること、原告と韓正三とは親せき関係にあり、同郷の幼ななじみであつて、当時、原告は、李の会社を退職して困つていた右正三とその家族の面倒を見ていた状況にあつたうえ、原告は、本件行為の直前、数メートル離れた、宴会の席上で、右正三と李がトラブルを起して、右正三のみが同席から連れ出されるところを目撃して、李及び栄子に対し、悪感情を持つていたものと推認されること、したがつてまた、原告が、栄子から「殺してやる。」旨いわれたことを原告自身に対する攻撃あるいは非難として認識し、これに対してビール瓶を振り上げ「殺してやる。」と反撥することは事実の経緯ないし状況の推移として十分あり得ることが認められる一方、採用できない原告本人尋問の結果中の後記部分はともかく、それ以外には、原告の前記各供述が、検察官の取調べを通じ、暴行、脅迫その他これに類する圧迫や強制を受け、あるいは原告主張の利益誘導なるものによる自白の強要をされるなど供述の任意性に疑問を抱かせるに足りる状況に原告が置かれたり、このような状況に置かれたと同様の心理的状態に原告が陥つていたためになされたものとすべき事実関係を肯認できない(右の点に関する原告本人尋問の結果中、原告の右主張に沿う部分は、前段に説示したところと対比して採用できない。)。その他本件全証拠によるも原告主張に係る検察官の右取調べには、何ら違法の点を見出すことができない。

(七) 以上によれば、本件の公訴提起当時において、前掲原告の各供述調書を含む前掲(二)、イの各供述調書における原告その他各供述者の供述に信用性があるとした検察官の判断は合理的であつて、不当・違法の点はないものといわなければならない。

(八) 以上の次第であるから、担当の検察官が、原告において栄子に対し、ビール瓶を振り上げて、「殺してやる。」と怒号したものと判断し、原告の右行為につき、被害者が女性であることを勘案して、場所が多数人のいる宴会場であるにもせよ、栄子の生命、身体に対する害悪の告知ないし挙動であるとして、刑法二二二条一項に該当するものとし、犯情をあわせ考慮のうえ、公訴を提起したことには、何ら違法・不当の点はないものというべきである。

(九) 公訴追行について

(1) 本件において公訴の提起が違法・不当でないことは前示のとおりであるから、これを前提に公訴の追行も違法であるとする原告の主張は失当である。

(2) 原告は、公判担当の稲辺検察官において、何ら新たな証拠も収集しないで漫然と公訴を追行したのは違法であるとも主張する。

本件の公訴追行を稲辺検察官において担当したことは、前掲甲第二号証により明らかであり、右認定を左右すべき証拠はない。しかし、原告の右主張は、それ自体具体性を欠くものとして採用の限りでない。そればかりでなく、およそ犯罪の嫌疑十分であるとして公訴を提起した以上、特段の事情のない限り、右の公訴追行に当たり、必ずしも新たに証拠を収集する必要があるとはいい難いのみならず、本件においては、前記のとおり、公訴提起後において、本件の公訴事実と同旨の内容を含む栄子の検面調書及び春花の検面調書がそれぞれ作成されているほか、前掲乙第八、第九号証、同第一一号証によれば、栄子及び春花は東京簡易裁判所の公判廷において、右各検面調書におけるのと同内容の供述をしていることが認められ、右認定を左右すべき証拠はないのであつて、それ以上に、更に新たな証拠を収集する必要があつたことをうかがわせるに足りる原告の主張、立証はない。

したがつて、公判担当の検察官において、原告主張の新たな証拠なるものを収集しなかつたとしても、何ら違法・不当ではない。

(仙田富士夫 清水篤 堀満美)

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